誰もが抱く「老いへの不安」~ひとつの詩から 【まるブログ】 1

これは、ある40代の女性が作った詩です。

——————————

とてもお世話になったお父さん お母さん
感謝している 親孝行してあげたいけれど
いまは私自身が 暮らしに精一杯
時間もない お金もない
ヘンに優しくするのも ぎこちない

ほったらかしておくわけにもいかない
どうしてあげたらいいんだろう
寝たきりで動けなくなったら どうしよう
話が通じなくなったら どうしよう
そうならないように どうしたらいいの

お父さん お母さんが死んでしまうなんて
考えられない 考えたくもない
でもいつか かならずそうなるよね
わかっているけど わかっているから
怖くて さみしくて しらないふりしていたい
最期は私が彼らの逝く末を決めるなんて
怖い 手を汚したくない

私がいまの父さん母さんより歳をとって
誰もいなくなって 友達にも会えなくなって
まわりがみんな年寄りばかりになったら
そんな世界 楽しいのだろうか 成り立つのだろうか
私はその中で 生きていけるんだろうか
お金や住まいや食べ物は 確保できるのだろうか
さみしくないだろうか 嫌われないだろうか
寝たきりにならないだろうか
のたれ死なないだろうか

———————

現代の30代後半~50代の人たちの不安の共通項を、端的に明確に表しているように思います。
最初は一見ピュアでありながら、徐々にエゴイスティックな部分が表出してきて、真に迫ります。

今後高齢化はどんどん進み、2025年には65歳以上人口が約30%を超えるという内閣府の推計が出ています。
こんな風に、30~50代の人が自分の親と自分自身の「老い」や「死」について、
恐怖にも似た不安を持っているのは、珍しいことではありません。
口には出さないけれど、多かれ少なかれこの詩にあることを感じ、怯えているようです。

よい医療・介護自体も大切ですが、それはあくまでも支援、脇役です。
自分と家族がよく老い、よく時間を過ごすこととはどんなことか、この詩のように、考えさせられます。

一般の人は「老い」や「死」について、あまりたくさんのことを知りません。
「病院」や「養老院」などを作り、分離された生活を送ってきました。

でも、もう見ないふりはできなくなってきました。
「老い」と「死」が、「地域包括ケア」として、以前のように地域に、すぐそばに戻ってくるからです。

だから勇気をもって老いを「知り」、死と「向き合う」ことが大切だと思うのです。
そうしたら、そんなにわるいものではないかもしれない。
知らないから怖いのかもしれないと、
数々の高齢者介護現場で、老いと死にまっこうから立ち向かう人々を見て思います。

編集工房まるのブログでは、そんな「老い」「死」への疑問や不安に、
ほんの少しだけ違う光が差すような記事、ニュース、インタビューを掲載していきたいと思います。

20150611_blog

文責;西村舞由子